横浜市西区にある野毛山公園は横浜市民の憩いの場となっています。
1926年に開園したこの公園は、戦前から戦後にかけて、さまざまな歴史を経てまいりました。
今回は野毛山公園の園内と、その歴史を紹介します。
横浜市にある野毛山公園について
野毛山公園は、京浜急行日の出駅から徒歩10分、JR根岸線桜木町駅から徒歩15分の所にあります。
園内は、「野毛山動物園」、「散策地区」、「展望地区」の大きく3つに分かれています。
1951年にオープンの野毛山動物園は、入場料無料で100種類以上の動物を見ることができます。
2007年には開園以来の入園者数が5000万人に達し、また、2015年には年間入園者数が100万人に達するなど、現在も人気の施設となっています。
また、散策地区は桜の名所として知られ、約250本の桜の木が植えられています。
また、幕末に活躍した佐久間象山の顕彰碑や、昭和を代表する女流俳人の中村汀女の碑、ラジオ受信器を収めたラジオ塔があります。
展望地区は、その名の通り展望台が設置されており、桜木町方面やみなとみらい地区を眺めることができます。
また、野毛山動物園と展望地区をつなぐ「野毛のつり橋」も観光名所となっています。
横浜市にある野毛山公園の歴史
野毛山公園は1926年に開設され、かつて園内には日本庭園、西洋庭園、折衷庭園と3つの庭園を備えた公園でした。
ただ、戦中は陸軍の用地として、戦後は1946年まで米軍に接取されていました。
1949年に開催の日本貿易博覧会では第一会場として注目を集めました。
日本貿易博覧会の開催後、跡地に動物園と遊園地を併設し、「野毛山遊園地」として1951年にオープンしました。
特に人気が高かったのはインドゾウの「はま子」で、開園して間もない1951年4月17日にインドのカルカッタから入園しています。
なお、はま子は開園50周年の2001年に市長功労賞を授与するなど、2003年に59歳で亡くなるまで、高い人気を誇っていました。
また、日本で初めての繁殖に成功した動物も多く、1952年にはヒョウ、1953年にはブラックバック、1954年にはヒトコブラクダの繁殖に成功しています。
1964年の貯水池建設による遊園地の閉鎖を機に、動物園は入園料が無料となっています。
横浜市にある野毛山公園にはかつてはプールがあったことも
第4回国民体育大会の開催を機に1949年にオープン以来、競泳用、飛び込み用、児童用の3種類のプールを、毎年夏に一般開放していました。
その後、配水池の建設に伴い、児童用が1963年に閉鎖されます。
残った2つは1973年に「野毛山公園プール」に名称が変更、公園施設の一部として運営されることとなりました。
ただ、野毛山公園プールは2003年に実施した耐震診断では耐震基準を満たさないことが判明し、2004年には運営を中止しました。
その後、存続の検討もされましたが、管理棟の建て替えが必要なことから、2007年に廃止が決定されました。
現在は取り壊され、展望台にはかつてプールがあったことを示す石碑のみが残されています。
まとめ
今回は横浜市の野毛山公園を紹介しましたが、いかがでしたか?
野毛山公園は1929年にオープンと歴史が古く、時代とともに変遷してきました。
現在も多くの横浜市民から愛されており、休日には多くの家族が親子連れで訪れています。
横浜市中心地近くにあるので、是非、家族みんなで遊びに出かけてみてください。
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