横浜が発祥の地とされる出来事はいくつかありますが、港町として栄えてきた経緯もあるので文化や学問が国外から伝わりやすい都市でもあります。
今回は歯科発祥の地として、横浜市を振り返ってみます。
歯科が発祥したのは…
歯科の発祥は1860年に米国人であるウイリアム・クラーク・イーストレーキ氏が初めて横浜市を訪れた時とされており、その後も含めて横浜市を合計3回訪れたとされています。
イーストレーキ博士が開設した診療所では多くの日本人の歯科医が育成され、日本の歯科医学の発展に大きく貢献しました。
これを記念して、神奈川県歯科医師会はイーストレーキ博士の業績を記して後世へ残すために「西洋医科歯学発祥の地」を記した記念碑を昭和60年に横浜市内に建てたことでも知られています。
歯科医学発祥の歴史
古代における医学とは祈祷師による祈りも含めて医療とされてきましたが、次第に分業および役割分担がされるようになりました。
歯を抜く人は歯抜き師、入れ歯の整備は入れ歯師、歯の治療のための薬を売る香具師といった具合であり、そうした領域を含めて口腔内全体の管理および治療を行う人が歯科医となりました。
日本国内でも明治時代頃には歯科医学の分業化がされ始めており、歯抜き師、入れ歯師、香具師が存在していました。
一方、海外から日本国内へ歯科医学が伝わってきた経路はいくつか知られています。
主に漢方を中心とした学問として中国から伝わってきた学問と、西洋医学を中心とした学問として欧米から伝わってきた学問に分けることができます。
中でも外国人の歯科医師で日本に初めて足を踏み入れた人がイーストレーキ博士であり、場所は横浜市でした。
イーストレーキ博士
「我国西洋医学発祥の地」と記された碑は横浜市内に建っています。
1860年に歯科医師として初めて横浜市に来日したイーストレーキ博士は、2度目の来日となる1868年には診療所を開設しています。
1800年代には既に高水準であったアメリカの歯科医学が日本に伝わり、以後はエリオット博士やパーキンス博士が次々と横浜で診療を開始し、日本人の松岡氏によって引き継がれていくことになります。
横浜市に建てられている記念碑にはイーストレーキ博士の献身的な診療活動と、日本人歯科医師に対する歯科医学の教育および育成を讃える文書が記されています。
まとめ
今回は歯科医学発祥の歴史とイーストレーキ博士についてまとめました。
横浜市は外国人歯科医師が初めて日本に足を踏み入れた土地であり、西洋の歯科医学が伝わってきた拠点でもあることを知っておきましょう。
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