火事や急病など、万が一の事態が起きた時に頼りになる消防や救急。
実は、その発祥地は横浜市なんですよ。
今回は、横浜で発祥した消防と救急の歴史についてご紹介します。
横浜で消防と救急が発祥した経緯 消防編
1859年に開港した横浜は、翌年に外国人居留地ができ、海外貿易が行われていました。
横浜に滞在する海外の貿易商人達は、商品を火災で失うことを一番恐れていたそうです。
そこで居留地の防災の為、欧米から最新の機械を取り寄せ、小規模な消防組織を自主的に始めました。
ちなみに明治初期には現在のような公営の消防署がなく、一番近い存在が『居留地消防組』だったそうです。
消防隊が発祥した経緯には、商人のリスクマネジメントという考え方が根底にあったようですね。
そして開港後の江戸末期、外来の文化が栄える横浜・関内地区にてついに恐れていた事件が起こります。
それは、1866年に起きた大火事『豚屋火事』です。
当時、末広町あたりにあった豚肉料理店から出火し、その火が瞬く間に広がり、現在の横浜公園にあった遊郭まで燃え移ったといわれています。
この火事で遊女の400人以上が焼死し、関内の外国人居留地や日本人街の大半が焼失したそうです。
事件の後、消防隊は強化され、1864年には居留地消防隊と呼ばれるポンプ車を備えた日本初の組織ができました。
また、防火対策で隣接していた日本人街と外国人居留地は、日本大通りを隔てて分断されました。
日本大通りを挟んで山下公園側が外国人居留地、関内駅側が日本人街です。
現在の関内地区も道幅が広く、建物が隣接しないような街づくりが行われています。
横浜で消防と救急が発祥した経緯 救急編
消防組織が作られると同時に、横浜市には救急隊も設置されました。
そんな救急の歴史が大きく変わったのは、1933年のことです。
この年、篤志家という名家から救急自動車が寄贈され、消防機関による救急業務がスタートしました。
当時は自動車が一般化しはじめ、交通事故の増加が社会問題となっていました。
特に交通事故負傷者の早期救護が重要であることから、救急自動車が配置されたそうです。
街中でよく見る救急車も、そのような歴史があったんですね。
まとめ
横浜と言えばオシャレな街として認知されることが多いかもしれませんが、歴史的背景を知るとまた違った見方ができるようになりそうですね。
今回ご紹介した消防・救急の歴史を垣間見ることができるスポットもあるので、横浜市で賃貸物件を探す時や引越し後に、ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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