横浜と聞くと何を思い浮かべますか?
遊園地、中華街、公園のイメージの方が強いかもしれません。
しかし、実は横浜が発祥地のものがあります。
それは、ガスと水道です。
そこで、今回は、横浜市のガスと水道の歴史についてご説明します。
ガスとガス灯の歴史
1869年(明治2年)頃、大田町の人々が神奈川県にガス灯の建設を出願したところから始まります。
最初の出願は県が受け入れず、却下されてしまいましたが、翌年1870年(明治3年)にドイツ領事が経営するシュルツ・ライス商会が再度ガス灯の建設を出願しました。
それに対抗して同年に建立された日本社中という会社がガス事業を出願したのです。
このガス建立を巡った競争は投票により決定し、競争に勝った日本社中がガス工場を建立することになったのです。
そして、1872年(明治5年)9月に大江橋~馬車道、本町通りにかけて、日本最初のガス灯が灯ったのです。
今でも、その当時を紹介する記念碑があるので、横浜市に訪れた際はぜひご覧ください。
水道の歴史
港町として発展し始めた当初、横浜の人々は、水を求めて井戸を掘っていました。
しかしながら、横浜は海を埋めて拡張してきた街の為、良質な水源には恵まれず、ほとんどの井戸水は塩分を含んでいて、とても飲み水には適さなかったそうです。
そんな状況を解決するために、1885年(明治18年)に神奈川県知事が、英国人技師を顧問として、三井を水源とした水道の建設に着手したのが始まりです。
それから、1890年(明治23年)に日本で初めての水道に関する法律の水道条例が制定され、同年より、管轄が神奈川県から横浜市へと移管されました。
当時の事業計画では7万人を給水人口として想定していましたが、実際の横浜市の人口は12万人、うち給水人口は9万人にも及んだため、さらに拡張工事をすすめ、浄水場の建築もすすみました。
こうして進んできた水道事業ですが、関東大震災の影響で、壊滅的なダメージを受けてしまいました。
さらには、太平洋戦争による空襲の影響で、給水人口はなんと3分の1にまで減ってしまったのです。
そんな壊滅的な戦中から、戦後になり、高度経済成長を迎えます。
当然、水の需要が著しく増加したので、短期間で多くの拡張工事と新たな水源の開発が行われました。
そのような度重なる工事と開発の甲斐もあり、現在では、3つの浄水場や約9,200Kmに及ぶ水道管の整備が整っています。
24時間365日安全な水を飲めるのは、このような歴史の背景があるのです。
まとめ
横浜市はガス、水道の発祥の地です。
先人たちが、暮らしを豊かにするために、多くの困難を乗り越えたからこそ、今の暮らしがあるのです。
今では当たり前のように使っているガスや水道も、先人たちの苦労と努力があってこそ使えているのは感謝ですね。
横浜市に住んだ際には、ぜひその歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
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