横浜市の憩いスポットといえば山下公園を頭に浮かべる方は多いでしょう。
豊かな自然を感じられる一方、近代的なみなとみらいを望める風景は、港町横浜市を象徴する景色といえるでしょう。
海辺の公園は観光用のイメージがありますが、実はしっかりとした歴史背景をもつ山下公園。
どんな歴史が隠されているのかのぞいていきましょう。
日本初の臨海公園が山下公園
山下公園は日本初の臨海公園として1930年に誕生しました。
公園中央には芝生エリアが広がっており、大きな木々で木陰を作り、訪れる人の疲れを癒しています。
幕末動乱期の開港により、いち早く諸外国との交流が始まったエリアなだけに、異国を感じさせるモニュメントも数多いです。
「水の守護神」は姉妹都市であるアメリカのサンディエゴから、インド式の水飲み場である「インド水塔」は在日インド人協会から寄贈されています。
異国との繋がりを感じる空間は臨海公園ならではで、みなとみらいと並ぶ観光スポットであることにも納得ですね。
山下公園は震災復興事業でできた!
山下公園は、関東大震災という歴史的災害を背景として出来上がった埋め立て公園です。
1923年の関東大震災で、横浜市は壊滅的なダメージを受け、街中が瓦礫だらけになりました。
その瓦礫を処理するためにもち上がったのが、埋め立て地に公園をつくる復興事業です。
震災前から公園を整備する都市計画があったことも、公園造成の決定を後押しします。
この事業は1925年に着工、4年半後の1930年に完成し、震災からの復興に繋がっていくのです。
山下公園は復興のシンボル
公園の造成が進む中、横浜市は山下公園を復興のシンボルにしようと考えます。
そこで、1935年に「復興記念横浜大博覧会」を開催し、横浜市の被災からの回復を国内外にアピールします。
全国から55の団体がさまざまな出品を行い、博覧会は連日大盛況だったようです。
展示の中には生け簀に鯨を入れるという、派手な演出も計画されたとか。
海外余興場ではアメリカンロデオが喝采をうけ、日本人は異国の芸に魅せられたそうですよ。
まとめ
自然豊かな山下公園をはじめ、おしゃれなみなとみらいなど、横浜市湾岸沿いには人気スポットがたくさんあります。
人によってつくられるものは、時代背景に影響を受けやすいです。
山下公園の誕生には関東大震災という歴史が関係し、被災後の人々の努力が隠されています。
歴史を知れば、同じ場所に違う楽しみ方を見出せますね!