横浜市の人気スポットといえば、横浜中華街を挙げる方が多いのではないでしょうか?
横浜中華街は、日本国内にとどまらず海外からの観光客をも魅了するアジア屈指の中華街です。
美味しい食事の情報や観光スポットは、ご存知かもしれませんが、街の成り立ちについては知らない方もいらっしゃるでしょう。
歴史を知って、違う角度から横浜中華街を楽しんでみましょう!
横浜市に中国人が住みついた背景
横浜中華街の歴史は、1859年の横浜港開港から始まります。
日本の開国後、アメリカ・イギリスなど、外国から多くの商人が現在の横浜市にやってきました。
この時、日本と諸外国の「仲立ち」「通訳」を行ったのが中国人です。
すでに西欧諸国と交易のあった中国人は、西欧の商い習慣・為替や貿易の仕組み・言語を理解していたので、ビジネスの仲介人として西欧人と日本にやって来ました。
また、幕末・新政府樹立といった大きな過渡期を迎えた日本に、ビジネスチャンスを見出した人も、中国からやって来たと云われています。
このような背景によって、横浜の外国人居留地に中国人、主に華僑の人々がコニュニティーを築き、中華街へと発展していきました。
地震と戦争を乗り越えた華僑
横浜市の横浜中華街と地震・戦争は、切っても切れない歴史関係があります。
関東大震災・日清戦争・第二次世界大戦の災害と、度重なる戦禍により、中華街は幾度も苦難に巻き込まれます。
1923年の関東大震災では、中華街は壊滅的なダメージを受け、多くの人々が神戸や大阪、広東や上海へ避難・帰国し、華僑の人口は一気に減りました。
1937年の日清戦争では、多くの中国人が帰国する中、横浜生まれの華僑の多くは横浜市に留まり、戦時下の厳しい生活を耐え抜きました。
1945年の大空襲では、中華街は火の海と化し、あたり一面は焼け野原となりました。
これらの苦難に耐え、力強く生き抜いた横浜市の華僑は、日本の高度成長期と東京オリンピック開催に後押しされ、現在の横浜中華街の基礎を造ったのです。
目にも鮮やかな門や廟
横浜の町は、海岸線に沿って平行または直角に道が作られています。
横浜中華街は、海岸線に対して斜めに走っており、ちょうど東西南北を向いた形になっていますよ。
風水を重んじる中国人にとっては、良い方角で、中華街に立つ「牌楼(ぱいろう)」と呼ばれる門からもその文化を感じられるでしょうね。
牌楼は、中華街に10基あり、特に東西南北に配置された4つの門は圧巻です。
それぞれの方位を司る神獣がデザインされていますので、ぜひチェックしてみましょう。
華僑版お寺ともいえる「廟(びょう)」も注目です。
商売の神様と航海の神様を祀る「関帝廟」と「媽祖(まそ)廟」は、パワースポットしても人気があります。
まとめ
人気おでかけスポットである横浜中華街は、150年以上の歴史を持ちます。
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